近年、組織開発の現場で「心理的安全性」の重要性が声高に叫ばれている。「何でも言える環境」こそが正義とされる風潮があるが、果たして一概に良いことだろうか。
現実の現場を見渡すと、心理的安全性という美名がもたらす弊害が散見される。例えば、「自由に発言させる風潮」を重視するあまり、以下のような泥沼に陥ってはいないだろうか。
- 議論が深まるどころか、同じ意見がただ繰り返されるだけで、一向に話が進まず決着もしない。
- 聞き間違いや誤認に基づく的外れな発言に対しても、誰も遮ることができずに時間を浪費する。
メンバーの能力が同質であり、全員が建設的な対話をこなせる環境であれば、心理的安全性を高く保つメリットは最大化される。
しかし、現実のチームには「能力のばらつき」が大きく存在する。スキルや経験に差がある組織では、全員に一律の自由を促すよりも、能力の高い人間が厳格に議論を「統制」したほうが圧倒的に効率が良い。
ここでマネジメントが天秤にかけるべきは、次の2点である。
- 【コスト】 能力の低いメンバーの発言がもたらすノイズと、議論の遅延
- 【メリット】 その膨大なノイズの中に、ごく稀に紛れているかもしれない「新しいアイデア」
もちろん、仕組みとしての「統制」が心理的安全性を高めることもある。しかし、今回のケースのようにノイズとなる発言を明確に制限・遮断する統制は、必然的に「何でも自由に言える」という意味での心理的安全性を低下させる。
もしノイズによる遅延コストがメリットを大きく上回るなら、マネジメントはチーム全体の生産性を守るために、あえて心理的安全性を下げる(発言を制限する)割り切りをしなければならない。
「お前は発言するな」と喉まで出かかるのを抑え、表向きは笑顔で傾聴する――そんな忍耐が生むのは、本当に強い組織だろうか。時には議論の枠組みを縛り、あえて心理的安全性とトレードオフにしてでも発言をコントロールする「統制」こそが、限られたリソースで成果を出すための最適解になり得る。