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「最後の砦は人間」という幻想:生成AIの進化とこれからの役割

生成AIの進化スピードはもはや目覚ましいというレベルを超え、日進月歩で私たちの能力領域を侵食し始めている。すでに、無料で使える一般向けサービスでさえ、多くの会社員のスキルや処理能力をやすやすと凌駕してしまっているのが現実だ。

このようなAIの猛烈な躍進を目の当たりにすると、決まってこう口にする人がいる。
「結局、最後の砦は人間だ」
「最終的に責任を取れるのは人だけだ」と。

確かに現状のAIは、優れた熟練者と比較すれば見劣りする部分があるかもしれない。だからこそ「まだ人間のほうが上だ」と安心したい気持ちも分からなくはないが、それはあくまで「今の話」でしかない。将来の爆発的な進化曲線を考えれば、いつまでもその理屈が通用するはずがない。

「人は間違わない」という謎の前提

生成AIの出力結果には、決まり文句のようにこう添えられている。
「生成AIなので間違っている可能性があります」

この表現の背景には、「プログラムは決まった結果を出す=正しい」という旧来の前提があるのだろう。しかし、そこから飛躍して「だからAIより人間のほうがマシだ」「人間がチェックしないとダメだ」と短絡的に考えるケースも後を絶たない。

実際、現実を見渡してみるとどうか。会議での勘違い、度重なるすれ違い。人間が正しいとどうして言えるのか。AIが間違えることを鬼の首をとったように批判する人間に限って、自分自身のミスを棚上げしていたり...。

「責任を取る」についても同様だ。責任を取る、って何? くびになれば問題はなかったことになるのか? 権力争いの敵が喜ぶだけで、結局会社として対応するだけ。別にAIが「責任を取れ」ないなんて言えない。

これから人間は何をしていけば良いのだろうか

では、あらゆる知的生産や判断の大部分をAIが担う未来において、私たち人間はいったい何をしていけば良いのだろうか。

もしかすると、これからの人間の主な仕事は「暴走するAIを見張ること」になるのかもしれない。圧倒的な知性と処理能力を持つ巨大なAIたちが勝手に暴走しないよう、監視し、手綱を引く。それはそれで、かつての「クリエイティブな労働」とは似ても似つかない、どこか皮肉で窮屈な管理者としての仕事だ。

「人間らしさ」とは何か。その定義が根底から問われるパラダイムシフトの波は、すでに静かに、しかし確実に足元まで押し寄せている。